イ・ムジチの四季


どうも歳のせいか、最近は流れてくるいろいろな音楽を聞いて疲れてしまうことが多い。特にJ-pop系が駄目だ。某TV局の朝のドラマでテーマ曲がかかるといつも「これは苦手な音楽だ」と思って「消音」にしてしまうし、その他の音楽でも、地声を張り上げるような歌い方についていけないものを感じている。 クラシックも同様で、とにかく他と違う特徴を出そうとしているのだろうか、刺激ばかり求めるような音楽が多くなっているように感じる。同じ曲を何度も聞くことが多くなると「同じ曲の演奏=何か違った要素=個性の表現」ということになるのかも。「何らかの変わった表現を演奏の目的にする」という考え方にはどうも私は根本的に賛同しかねるがまあそういう話は置いておこう。

いつだったか、ペルトの「鏡の中の鏡」という曲をきいて大変満足したのを覚えている。もちろんベートーヴェンの音楽をこういう風に演奏してほしいなどと馬鹿げたことを言うつもりはないのだが、 バロック音楽などを刺激的に演奏されるといささか疲れるのも確かだと思う。この時代の音楽は奇をてらうということが基本的な目的ではなかったはずではないか。

今回の鑑賞は、「ヴィヴァルディ生誕300周年記念」という文字が書かれている2枚組のLPディスクである。ずいぶん前に中古レコード店で購入したのだがしばらく聴いていなかった。独奏ヴァイオリンはフェリックス・アーヨで、私が中学生の頃に人気があったレコードだと記憶している。 「四季」は今日ではかなりいろいろな演奏が出てきており、記憶をたどると演奏史の上で大きな転換点であったのは「ピリオド楽器」の団体が現れた時だったようだ。そうすると今回の演奏などは「古い時代」と片付けられてしまうのかもしれないが、良い演奏に古いも新しいもないとはずだと思っている私としては、こういう演奏を聴きたかったんだよなあ、と思ってしまうのである。 全体を通して「歌」に満ちた演奏だと思うし、テンポも私には実に心地よい。他にはモーツァルト「アイネ・クライネ・ナハト・ムジーク」、ヴィヴァルディのフルート協奏曲「海の嵐」、協奏曲集「調和の幻想」など。「2つのヴァイオリンのための協奏曲イ短調」が個人的に好きな曲で、特に感動させられた演奏であった。

以前、ある弦楽器奏者(私より少し年上)と話していたことがあり、私がミュンヒンガーの指揮が好きだと言ったら、その人は、もちろんミュンヒンガーも素晴らしいが自分はカール・リヒターが好きだと言っていた。やはり同じようなことを感じる人もいるものだと嬉しくなったのを覚えている。

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